こんにちは!takochiです♪
宮崎駿監督、平成最後の長編作品「風立ちぬ」何度観ても素晴らしい作品ですね。
実在の人物の半生を、美しい薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ、そしてカプローニおじさんとの時空を超えた関わりをプラスすることで、完全なフィクションとして1930年代の青春を描いた異色の作品となっています。
実は、初めて映画館でこの作品を観た時、現実と夢の狭間があまりにも自然過ぎて、
「あ~!二郎はカプローニおじさんと昔会ってたんだ!」と勘違いしたtakochiでした。
ところで、カプローニおじさんて誰?
と思いませんでしたか?重要なカギを持つ人物であることは確かです。
堀越二郎と同じく実在した人物なのでしょうか?それとも誰かをモデルにしたのでしょうか?
今回は「風立ちぬ」で重要なカギを握るカプローニおじさんについて
- 誰がモデルなのか?
- どんな功績のある方なのか
- 子孫はいるのか?
を調査してみました!
「風立ちぬ」カプローニのモデルは実在していた!?
ジョヴァンニ・バッチスタ・ジャンニ・カプロニ
1886年7月3日 – 1957年10月27日(享年71)
イタリア
航空技術者、土木技術者、電気技術者、航空機設計者。
堀越二郎と同じ航空技術者で、設計者でもあります。
堀越二郎は1903年生まれですから、カプロニ氏は二郎より17歳年上です。
イタリアに実在した航空会社「カプロニ」の創設者です。
1907年にミュンヘン工科大学で土木工学の学位を取得し、その1年後にはリエージュ大学で電気工学の博士号をそれぞれ取得していいます。
やはり堀越二郎と同じく、べらぼうに頭が良かったようですね。
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ジャンニ・カプローニの功績とは?
カプローニ氏は1907年、1908年に航空用エンジンの開発実験をしています。
1915年にイタリアが第一次世界大戦に参戦した後は、爆撃機の設計及び製造に尽力。
その後、旅客機開発も手がけ旅客機Ca.48を開発したのですが、Ca.48は1919年8月2日にヴェローナ近郊に墜落して全乗員(資料により14人、15人または17人とばらつきがある)が死亡するという、イタリア初の民間機災害にして、最古かつ当時最悪の旅客機事故の一つを起こしてしまいます。
そして第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、カプロニは航空機に対する努力の大部分を、爆撃機と小型輸送機の設計製造に力を注ぎ込むことに…。
堀越二郎も、はからずも戦闘機の開発に尽力する運命になりました。
2人は年齢も国も違いますが「美しい飛行機を作りたい」という夢は同じでした。でも時代の渦に飲み込まれ意図せず戦闘機や爆撃機を作ることになってしまったのです。
自分が人生をかけて作りだしたものが、人を殺める道具となる…それはとても悲しい事ですが「そういう時代だった」としか言いようが無いのかもしれません。
実は、「ジブリ」という名前もカプロニ社の飛行機の名前から由来していました。
宮崎駿監督は、ジャンニ・カプローニについて次のように語っています。
いろいろな優秀な設計士さんがイタリアにはいますが、第二次大戦の時には役に立たない飛行機ばかり作っていた会社でして。
大戦時に役に立たない飛行機を作っていたくだりは、『風立ちぬ』のなかでも触れられていましたね^^;
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ジャンニ・カプローニの子孫の現在
ジャンニ・カプローニ氏にはお孫さんがいらっしゃいます。
こちらは、第70回ベネチア国際映画祭で「風立ちぬ」が公式上映された際、ヒロイン・菜穂子の声を担当した瀧本美織と、ジャンニ・カプローニ氏のお孫さんイタロ・カプローニ氏が並んで写った一枚です。
スクリーンでよみがえった祖父の姿に、イタロ氏は
「わたしが抱いている祖父のイメージとピッタリ。宮崎監督は祖父を完璧に描いた」
と絶賛しました。
引用元 https://www.cinematoday.jp/news/N0056050
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まとめ
「風立ちぬ」で堀越少年の夢に出てくる紳士は、実在の人物ジャンニ・カプローニ氏でした。
カプローニ氏も「美しい飛行機を作りたい」という堀越二郎と同じ夢を持った航空技師でしたが、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、カプロニは努力の大部分を爆撃機と小型輸送機の設計製造に力を注ぎ込みました。
カプローニ氏にはお孫さんもいて、「風立ちぬ」が第70回ベネチア国際映画祭で公式上映された際は会場に駆けつけて下さり、スクリーンでよみがえった祖父の姿を絶賛されていました。
同じ夢を持つ二人が、二郎の夢の中で出会い、次郎の手を引いて目をキラキラさせているカプローニ。
物語の最後で、カプローニの「飛行機は半分も帰ってこなかった」と言った時の表情と、次郎の「一機も帰ってこなかった」と言った時の表情の違いがとても印象的でした。
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