こんにちは!takochiです♪
今年も夏の甲子園大会が始まりました。猛暑の中、選手たちの熱い戦いに目が離せません!
令和初の、夏の大会で優勝旗を手にするのは、どこのチームなのでしょう!?
今回は、3年ぶり4度目の甲子園出場を果たした、履正社高校野球部の岡田龍生監督について
- 経歴
- 実績
- プロフィール
- 指導方法
をまとめてみました!
履正社高校野球部の岡田龍生監督のプロフィール
岡田 龍生(おかだ たつお)
生年月日:1961年5月18日(58歳 2019年8月現在)
出身地 :大阪府
出身高校:東洋大姫路高
出身大学:日本体育大学
担当教科:保健体育科
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履正社高校野球部の岡田龍生監督の経歴
東洋大姫路高では3年生の時、主将として甲子園を経験し、春は準決勝・夏は準々決勝まで勝ち上がりました。
実は、岡田監督は中学時代にはバレーボールに打ち込んでいて、意外にも野球を始めたのは高校生になってからです。
高校で野球を始め、1番・三塁手のポジションを獲得し主将まで努めた岡田監督は、当時「脅威の三塁手」と呼ばれていました。
日本体育大学卒業後は鷺宮製作所での社会人野球を経て、1985年桜ノ宮高校のコーチを努め、1986年に当時は無名のチームであった履正社の監督となりました。
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履正社高校野球部の岡田龍生監督の実績
「守備・走塁・バント」を重視した練習を続けた結果、監督就任8年後の1997年には「バントの履正社」と呼ばれ、バントと走塁を駆使して勝ち上がり、夏の甲子園初出場をつかみました。
就任直後は、他の部活と共用でグラウンドを使っていたため、全面を使えたのは週に2回しかありませんでした。
しかし甲子園出場という結果を残し、2003年頃には専用のグラウンドを持ち、特にバッティングを強化して、履正社は強豪校として名を連ねるようになっていきました。
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履正社高校野球部の岡田龍生監督の指導方法
過去には成果を上げていたスパルタ教育から、2002年に大きな方向転換をしました。
現在は「やらされる野球でなく、自分で考えて動く野球が大事」との信条のもとで指導しています。
そしてその信条のもと、選手を徹底してデータ化します。
スイングスピードを測り、前と比較をし、トレーニング記録や冬場行う紅白戦の成績も数字にして現状を把握させる。はっきりと目に見えるものがあれば、自分に対してきちんとした評価ができ、自らその都度、打撃フォームを修正して結果を残していけるのです。
また、練習時間をいかに効率よく使うかをそれぞれの選手が自分で考えることや、ウエイトトレイニングを増やすことで、重量打線につながるベースづくりも完璧です。
履正社は、甲子園出場回数12回(春8回 夏4回)を誇り、大阪地区では、大阪桐蔭と並んで2強といわれるまでになっています。
昔は一人で監督もコーチも兼ねて指導していましたが、現在は多くのスタッフもいます。
「分業で選手を指導、管理する。それが結果にも結びついているのかなと思います。そのうえで選手に納得して練習させるために取り入れているのが、可能な限りのデータ化なのです。」
まとめ
今回は、
3年ぶり4度目の甲子園出場を果たした、履正社高校野球部の岡田龍生監督について経歴や実績とプロフィール、指導方法をまとめてみました。
岡田監督は大阪出身の58歳。1986年に履正社高校の監督に就任し、かれこれ30年以上も選手を指導しています。
「守備・走塁・バント」を重視した練習を続けた結果、監督就任8年後の1997年には「バントの履正社」と呼ばれ、バントと走塁を駆使して勝ち上がり、夏の甲子園初出場をつかみました。
過去には成果を上げていたスパルタ教育から、2002年に大きな方向転換をしました。
現在は「やらされる野球でなく、自分で考えて動く野球が大事」との信条のもとで指導し、
その信条のもと、選手を徹底してデータ化します。
昔は一人で監督もコーチも兼ねて指導していましたが、現在は多くのスタッフもいます。
分業で選手を指導、管理する。それが結果にも結びついているのかなと思います。そのうえで選手に納得して練習させるために取り入れているのが、可能な限りのデータ化なのです。