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第99回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)で2年ぶり8度目の総合優勝を飾り、大学駅伝三冠の偉業を成し遂げた「駒澤大学」。
その駒澤大学を率いるスポーツ界きっての名将・大八木弘明監督が2023年3月で勇退することを発表しました。退任については2022年の夏合宿最終日に田沢廉選手を含むチームの中心メンバー3人にだけ告げ、「どうしても三冠を取りたい。お前たちと一緒に勝ちたい。」と決意を語ったそうです。そして、今回の箱根駅伝 優勝したことで見事に三冠を達成しました。
そこで今回は、駒澤大学陸上競技部監督である大八木弘明監督のプロフィールや経歴、これまでの指導成績や名言についてまとめてみました!
駒沢大学・大八木弘明(おおやぎ ひろあき)監督のプロフィール
- 生年月日:1958年7月30日
- 年齢:64歳
- 出身地:福島県河沼郡河東町(現:会津若松市河東町)
- 最終学歴:駒澤大学経済学部2部(夜間部)
- 競技:陸上競技
駒沢大学・大八木弘明監督の経歴
中学・高校時代
大八木弘明さんが本格的に陸上競技に取り組むようになったのは、会津高田町立第一中学校(現:会津美里町立高田中学校)2年生の時、校内マラソン大会で優勝したことがきっかけでした。
入学当初は体重約100kg、ついたあだ名は「ドラムカン」でしたが、県内で駅伝常勝の陸上部で練習を積み重ね、3年生の時にはジュニア選手権(ジュニアオリンピックの前身)3000mに出場し、全国5位に輝きました。
福島県立会津工業高等学校進学後は、インターハイ出場を目標としていましたが走り過ぎによる故障や貧血に悩まされた3年間となりました。家庭の事情により大学進学は断念し、就職の道を選びます。
小森印刷(現:小森コーポレーション)時代
小森印刷入社後は、早朝や昼休みを利用して練習に励みました。1980年12月の第25回全日本実業団対抗駅伝では6区を走りました(区間3位)。
駒澤大学経済学部2部(夜間部)時代
小森印刷時代も「箱根を走りたかった」思いを胸に、練習に明け暮れていた大八木さん。その夢をあきらめきれず、24歳で駒澤大学経済学部2部(夜間部)に入学し、昼間は川崎市役所で働きながら勉強と練習の両立を図りました。
そんな努力が実を結び、関東インカレ(2部)をはじめ、数々の大会で好成績を収めました。箱根駅伝にも3回出場し、区間賞を2回獲得しています。
大学卒業後はヤクルトに入社し、陸上競技部にてコーチ兼選手として実業団選手人生を送りました。
指導者としての駒澤大学陸上競技部時代
1995年4月から母校である駒澤大学陸上競技部のコーチに就任し、その後2002年4月には助監督に。そして、2004年4月には監督に就任しました。
コーチに就任してから2022年度まで、出雲・全日本・箱根の学生三大駅伝では27勝を挙げています。
初期の大八木弘明監督は「監督の指示が絶対」という一方通行な指導方法でしたが、箱根駅伝の優勝から遠ざかり、全日本大学駅伝の連覇が途絶えた2015年頃から指導方法を大きく変更。時代の変化に合わせて選手とのコミュニケーションや自主性を重視した指導法へと変えていきました。
大八木弘明監督がこれまでに指導してきた学生の中には、駒澤大学陸上競技部の次期監督で男子マラソンの元日本記録保持者である藤田敦史さん、2022年度の活躍が目覚ましかった國學院大學陸上競技部の監督・前田康弘さん、2020年東京五輪マラソン男子日本代表の中村匠吾選手などがいます。
駒沢大学・大八木弘明監督の指導成績
大八木弘明監督は、これまでに大学三大駅伝の出雲駅伝で4勝、全日本大学駅伝で15勝、箱根駅伝で8勝の計27勝を挙げています。そして、2022年度には「大学駅伝三冠」を達成しています。ちなみに、初めての箱根駅伝 優勝は1999年でした。
年度 | 出雲駅伝 | 全日本大学駅伝 | 箱根駅伝(総合順位) |
1995年 | - | - | 12位 |
1996年 | - | 8位 | 6位 |
1997年 | 優勝 | 4位 | 2位 |
1998年 | 優勝 | 優勝 | 2位 |
1999年 | 3位 | 優勝 | 優勝 |
2000年 | 3位 | 2位 | 2位 |
2001年 | 2位 | 優勝 | 優勝 |
2002年 | 3位 | 優勝 | 優勝 |
2003年 | 3位 | 4位 | 優勝 |
2004年 | 2位 | 優勝 | 優勝 |
2005年 | 4位 | 3位 | 5位 |
2006年 | 5位 | 優勝 | 7位 |
2007年 | 4位 | 優勝 | 優勝 |
2008年 | 2位 | 優勝 | 13位 |
2009年 | 10位 | 7位 | 2位 |
2010年 | 3位 | 2位 | 3位 |
2011年 | 2位 | 優勝 | 2位 |
2012年 | 5位 | 優勝 | 3位 |
2013年 | 優勝 | 優勝 | 2位 |
2014年 | 中止 | 優勝 | 2位 |
2015年 | 3位 | 3位 | 3位 |
2016年 | 5位 | 4位 | 9位 |
2017年 | 7位 | 4位 | 12位 |
2018年 | - | 4位 | 4位 |
2019年 | 2位 | 3位 | 8位 |
2020年 | 中止 | 優勝 | 優勝 |
2021年 | 5位 | 優勝 | 3位 |
2022年 | 優勝 | 優勝 | 優勝 |
駒沢大学・大八木弘明監督の名言・檄(げき)集
箱根駅伝での大八木弘明監督の檄は、箱根駅伝の名物の一つと言っても過言ではないくらい毎回注目されてきました。
熱血監督の檄は、時にパワハラと話題になることもありましたが、大学卒業後には実業団で活躍したり指導者になる教え子が多数いることから、大八木弘明監督は人望が厚く指導力が高い監督であることがわかります。
大八木弘明監督の名言
- 箱根だけは、ごまかしが利かないんだよ。
- なんとかして選手に自信をつけさせたかった。それで「復路優勝」を狙ったんです。
- 前を追いかけても、全然背中が見えない。それでも気持ちが切れない選手が強いんだ。
大八木弘明監督の檄
- 「何がガッツポーズだ!バカヤロー!ガッツなんかやってる場合か、トップで走ってるわけじゃない」(2006年、5連覇を狙っていたにも関わらず3区まで5位。4区で襷を受け取った田中宏樹選手がガッツポーズをして走り出した時の檄)
- 「区間賞だぞ!いいか、あきらめるな!追え、追え、追えだぞ!」(2006年、8区で2位まで上がってきた堺晃一選手への檄)
- 「そこで男だぞ!そこからだぞ!」(2010年、9区の高林祐介選手が中大、山梨学院大を抜いて2位に浮上した時の檄)
- 「跳べ、跳べ、跳べ、跳べ!最後の最後だ!頭から突っ込め!」(2014年、5区で1位の東洋大を追っている2位の馬場翔大選手が最後の下りに差し掛かった時の檄)
- 「白バイを抜け!」(2016年、6区を走る宮下紘一選手のペースが上がらず出た檄)
- 「おい、浦野!人の後ろばかり行ってちゃだめだ。引っ張っていかないと。いいか2人で行けば浦野が区間賞、お前(伊東)は区間3、4番だから」(2019年、5区で伊東颯汰選手の後方を走る国学院大の浦野雄平選手に対する檄。)
- 「倒れてもいいから、それぐらいの覚悟で最後まで走り切れ!男だったら行くぞ!」(2021年、2区のラストスパートをかけた田沢廉選手への檄)
- 「早く前に行けって言ってんだろ、テレビカメラ!」(2021年、7区の花尾恭輔選手を追うテレビカメラに対して激怒)
- 「やったね、やったよ、お前男だ!」(2021年、10区で区間賞の走りをした石川拓慎選手に対し20km付近で出た檄)
まとめ
今回は、今年度をもって駒澤大学陸上競技部の監督を勇退する大八木弘明監督のプロフィールや経歴、これまでの指導成績や名言についてまとめてみました。
史上5校目の3冠達成という快挙を成し遂げたことに大変感動しましたが、その裏には大八木弘明監督の退任の意向が隠されていて、「監督のための三冠」だったのなら感動はさらに増しますよね。
大八木弘明監督の今後ですが、完全に指導者を引退するわけではなく、今後も駒澤大学でトヨタ自動車に進む田沢廉選手らの指導にあたります。指導者としての次のステップ、「駒澤から世界へ」を目標に大八木弘明監督の指導は続きます。今後も大八木弘明監督のご活躍を期待しております!
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