こんにちはtakochiです。
幼いころ、クリスマスに「りかちゃん人形」を
お願いしましたが、なぜかリカちゃんのお姉さんの
「リエちゃん」を手にした経験があります。
香山リエ ちゃん
2019年2月26日、「リカちゃん」人形や「人生ゲーム」などを大ヒットさせた玩具メーカー、
タカラ(現タカラトミー)創業者の佐藤安太(さとう・やすた)さんが
老衰のためお亡くなりになりました。
リカちゃんシリーズだけでなく、トミカやプラレールなど、
子供たちに、たくさん夢を与えてくださった「タカラ」の創業者は
どんな方だったのでしょう。
佐藤 安太(さとう・やすた)経歴
佐藤 安太(さとう・やすた)
1924年3月20日~2019年2月26日(94歳没)
実業家
福島県いわき市 出身
1945年 – 米沢工業専門学校化学工業科卒業
1953年 – 佐藤ビニール工業所社長
1960年 – 宝ビニール工業所社長
1961年 – タカラビニール工業所社長
1966年 – タカラ社長
1994年 – タカラ会長
1999年 – タカラ社長
1953年、タカラの前身である佐藤ビニール工業所を設立。
1967年にタカラに社名変更
「ダッコちゃん」「リカちゃん」人形や「人生ゲーム」、
「チョロQ」などが大ヒット商品を次々開発したことから
「おもちゃの帝王」とよばれました。
会社発足当時は発足当時は、ビニール製の雨合羽や雑貨など、
ビニール製品の製造を主要な事業としていましたが、
後に、空気入りビニールの素材開発に取り組み、
その一環としてビニール人形を試作し、百貨店の店頭に展示していたところ
その人形に目を留めた百貨店の店員が、自分の腕にくっつけて
昼食をとりに外出したことをきっかけに、その人形がブームとなりました。
さらに、大相撲七月場所のテレビ中継にて、その人形を持った観客が映ったことから、
流行が全国に拡大したのです。(ダッコちゃん人形の始まり)
Wikipediaより
佐藤さんは、2002年にタカラの経営の一線から退きました。
2002年 – ライフマネジメントセンター理事長就任
2007年 山形大学大学院進学
2010年 – 山形大学大学院理工学研究科博士課程修了
なんと!83歳にして大学院へ進学とは…
山形大学の学生・院生としては、佐藤さんが史上最高齢だそうです。
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佐藤さんのご家族
長男 佐藤 博久さん
1955年11月30日生まれ
株式会社ネクスフューチャープロダクション代表取締役最高経営責任者、
株式会社ネクスエンタテインメント取締役副社長、
株式会社ビービットアドバイザー、
デジタルハリウッド大学デジタルコミュニケーション学部客員教授・
大学院デジタルコンテンツ研究科客員教授。
株式会社タカラ代表取締役社長(第2代)、
株式会社セガ(後のセガゲームス)執行役員、
株式会社エムティーアイ取締役副社長、
株式会社ミュージック・ドット・ジェイピー代表取締役社長などを歴任されました。
次男 佐藤 慶太さん
1957年12月15日生まれ
タカラトミー特別経営顧問(元副社長)、
タカラトミーアーツ及び竜の子プロダクション元代表取締役社長
奥様についての詳しい情報は、いろいろネットで検索しましたが
見つけることが出来ませんでした。
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まとめ
「ダッコちゃん」は、試作品だったのですね~。
ダッコちゃんブームのおかげで、ビニール工業から玩具製造メーカーへと
転進したのですね。
しかし、そのおかげで昭和30年代以降の子供たちは
素晴らしいおもちゃの数々を手にすることができました。
佐藤 安太さんのご冥福をお祈りいたします。