こんにちは。takochiです。

 

日活ニューフェイス(第1期)として、大活躍した宍戸錠さんが亡くなりましたね。

つい先日、東映ニューフェイスとして活躍していた梅宮辰夫さんが逝ってしまったばかりなのに…どんどん寂しくなります。

takochiは、宍戸錠さんの活躍をリアルタイムで観たわけではありませんが、「日活の黄金時代」を彩った大スターだということは知っていました。

悪役向けのふてぶてしい面構えになるために、頬にオルガノーゲンというパラフィンを注入してまで敵役に徹するなんて、すごい根性だと思いませんか?

 

今回は、そんな素晴らしい俳優、宍戸錠さんの

  • 経歴
  • 出演した多くの作品の中から、おすすめとされる代表作
  • 豊頬ビフォー・アフター

について調べてみました。

目次

宍戸錠の経歴

宍戸 錠(本名:同じ)

1933年12月6日 -生まれ、大阪市北区出身。
血液型はB型。

小林旭と『渡り鳥シリーズ』など多数の映画で共演し、エースのジョーという愛称でも親しまれました。

渡り鳥シリーズは、全部で8作品もある大人気映画です。

実弟は悪役俳優として活躍した郷鍈治さん。

兄弟で悪役や敵役だったんですね〜。長男の宍戸開さんも俳優ですが、開さんの悪役イメージは、あまりありませんね^^

「錠」という名は、子沢山だったために“最後の子にしたい”という母親の想いに由来したそうです。

父親が事業で成功し、5歳の時に家族で東京滝野川へ移り住み、裕福な生活を送っていたのですが、小学校6年のとき東京大空襲で自宅が全焼。
跡地はドサクサに紛れた何者かが居座り、奪われてしまいました。

そのため、宮城県白石市へ疎開。
以来、高校卒業まで同地で育ちました。
高校ではバスケットボール部に所属。

1952年、宮城県白石高等学校を卒業し、日本大学藝術学部演劇科に入学するのですが、2年のときに日活の募集に応じて合格したことから、大学を中退。

なんて潔いんでしょう!!

1954年、日活撮影所へニューフェイス第1期生として入所。

翌1955年、『警察日記』で若い巡査役として銀幕デビュー。

トントン拍子ですね〜。

若い巡査役のときは、線の細い美青年だったようです。

引用:Wikipedia

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宍戸錠のおすすめ映画、代表作品

主役級の作品は昭和35~45年あたりに集中しています。

キャラから文芸作品系には縁は無かったようですが、話題性でいうとやはり「肉体の門」でしょうか。

・危(やば)いことなら銭になる (1962年/中平康)
・探偵事務所23 くたばれ悪党ども (1963年/鈴木清順)
・野獣の青春 (1963年/鈴木清順)
・肉体の門 (1964/鈴木清順)
・拳銃(コルト)は俺のパスポート (1967年/野村孝)
・殺しの烙印 (1967年/鈴木清順)
・組織暴力 流血の抗争 (1971年/長谷部安春)

・ろくでなし稼業 (1961年/斎藤武市)
・河内ぞろ どけち虫 (1964年/舛田利雄)
・みな殺しの拳銃 (1967年/長谷部安春)
・傷害恐喝 前科十三犯 (1969年/松尾昭典)

ここに書ききれないほど、ものすごい数の作品に出演されているのですが、全ての作品が今も視聴できるわけではありませんでした。

DVDで販売されている作品もありますが、インターネットでの配信も多くされています。

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豊頬ビフォー・アフター

宍戸錠さんが豊頬手術を受けたのは、1956年23歳の時です。

ご本人は「失敗だった」と述懐しましたが、これを機に「アクの強い役=悪役」への転向を見事に果たしましたね。

デビュー当時は、美青年俳優で売っていましたが、頬の手術のあとは完全敵役。

タフでハードボイルドな役柄で小林旭らとともに名を知られ、日活アクション映画の需要もあって、「エースのジョー」と呼ばれて親しまれた。

失敗は成功のもと!ですね〜。

目鼻立ちがハッキリ!外国の俳優さんみたいです。

 

いや〜、頬を膨らませただけで、こんなに印象が違うんですね!

ワイルド感が全然違います Σ(゚∀゚ノ)ノキャー

でも、こっちの方が親しみやすい感じもあります。

 

2001年3月には、その頬の隆起を切除する手術を受け、無事成功。

40年以上前に注入したゼリー状のオルガノーゲンというパラフィンは石灰化し、メスを通すのもやっとの固さになっていたといいます。

同年6月のテレビ番組で手術後の姿を公開し

「すげえもんが入ってたんだなと思った。これからは“オールド・ジョー”になりたい」と話していました。

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まとめ

今回は、宍戸錠さんの経歴と、出演した数多くの作品の中から「おすすめとされる代表作」、

豊頬手術ビフォー・アフターについてまとめてみました。

裕福な家庭で育った宍戸錠さんですが、空襲で家を焼かれ疎開。

疎開先の宮城県白石高等学校を卒業し、日本大学藝術学部演劇科に入学するのですが、2年のときに日活の募集に応じて合格したことから、大学を中退。

1955年、『警察日記』で若い巡査役として銀幕デビューを果たします。

線の細い美青年としてデビューしたものの、23歳のときに「ふてぶてしい面構え」を手に入れるために豊頬手術を受けます。

ご本人は失敗だったと述懐されていましたが、ビフォー・アフターの写真を比べると、個人的には術後の面構えのほうが、親しみを感じました^^

そして、その面構えのおかげもあり「日活の黄金時代」を彩った大スターとして活躍しました。

 

寂しいですね。

宍戸錠さんの、ご冥福をお祈りします。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

投稿者 takochi