こんにちはtakochiです。
国内大手 呉服専門店「鈴乃屋」の創業者である
小泉清子さんが、17日、老衰のためお亡くなりになりました。
今回は、
100歳という天寿を全うされた小泉さんの
これまでについて、まとめてみました。
呉服専門店「鈴乃屋」創業まで
小泉清子さんは
1918年5月7日、
「鈴木シャツ被服店」を営んでいた鈴木房吉夫妻の家に生まれました。
旧姓は鈴木さんなのですね。
洋装のお店を営む環境で、育ったのですが
清子さんは、幼いころから和装に興味をお持ちだったようです。
東京府立第一高等学校(現在の東京都立白鴎高等学校・附属中学校)
を卒業後、当時の内務省へお勤めになります。
働きながら、和裁を学びますが
1939年に小泉寅次さんと結婚し、女の子と男の子の2児をもうけます。
しかし、ほんの数年後に
夫の寅次さんは、太平洋戦争で戦死…。
二人のお子さんを育てるために
1947年9月
東京・上野広小路にて
「きもの帯 鈴乃屋」(現在の上野本店)を創業します。
清子さんは、着物のデザイナーでもあり
「花鳥山水」をデザインコンセプトに掲げ、
モミジ、菊、貝殻、波など自然の美しさを着物に描きました。
「鈴乃屋」の展開
1950年に 株式会社鈴乃屋を設立。
全国へチェーン展開を始めます。
1964年には、初めて皇室のお衣裳を調整、
以降、皇后美智子さまの着物のデザインを担当されます。
1971年 鈴乃屋きもの学院を開設。
後進の育成にも意欲的だったのですね。
そして、
1984年
NHK大河ドラマ「山河燃ゆ」の衣裳考証を担当することとなります。
それ以降、2015年の「花燃ゆ」まで
なんと、30年以上も衣裳考証を担当されるのです!
takochiは、小泉清子さんを存じ上げなかったのですが
大河ドラマはとても好きで
女優さんたちが身にまとう、和服の素晴らしさに
とっても憧れました。
現在、鈴乃屋は呉服や、きもの学院の運営に加え
旅行事業や、レンタルも展開されています。
まさに、女性経営者としての先駆け的存在だったのですね。
まとめ
人生のほとんどを、呉服に捧げた小泉清子さん。
彼女が残した功績は、本当に素晴らしいものでした。
どうぞ、ご冥福をお祈りいたします。