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いよいよスタート!朝ドラ『らんまん』モデルの牧野富太郎とは?

いよいよスタート!朝ドラ『らんまん』モデルの牧野富太郎とは?
いよいよスタート!朝ドラ『らんまん』モデルの牧野富太郎とは?

2023年4月から放送される朝の連続テレビ小説『らんまん』。主演、神木隆之介さんが演じる「槙野万太郎」は、実は実在した人物がモデルになっているんですよ。

今回は朝ドラ主人公のモデルになった牧野富太郎さんについて紹介します。

牧野富太郎のプロフィール

  • 名前:牧野富太郎(まきのとみたろう)
  • 生年月日:1862年1月18日
  • 没日:1957年1月18日(94歳)
  • 出身地:高知県高岡郡

牧野富太郎さんは、朝ドラ『らんまん』の主人公のモデルとなった人物。「日本植物学の父」とも呼ばれる偉人で、なんと牧野富太郎さんが生まれた1月18日は「植物学の日」に制定されているんですよ。

幼くして父母を亡くす

1862年に高知県高岡郡佐川町(当時の土佐国佐川村)で生まれた牧野富太郎さん。実家は「佐川の岸屋」と呼ばれた雑貨業、酒造業を営む裕福な家だったのですが、3歳で父を、5歳で母を、6歳で祖父を亡くすという不幸に見舞われています。実は、生まれた時は「成太郎」という名前でしたが、家族を亡くしたことに関連してか、後に「富太郎」に改名されました。

幼少の頃から植物に興味を示していたという牧野富太郎さん。両親と祖父を亡くした後は、祖母に育てられました。

小学校を中退

牧野富太郎さんは10歳で寺小屋に通い、11歳で郷校の名教館に入りました。在学中に学制改革が行われ、名教館は校舎そのまま佐川小学校になったのですが、牧野富太郎さんは佐川小学校に入学したものの2年で中退されています。当然今とは色々勝手が違うのですが、牧野富太郎さんの最終学歴は小学校中退ということになるのですね。

元々は造り酒屋の跡取りという身のため、学問で身を立てることは全く考えていなかったという牧野富太郎さん。そのために小学校を中退したのですが、その後しばらくは酒屋を祖母や番頭に任せて気ままな生活を送っていたそうです。

植物学にのめり込むように

15歳の頃から佐川小学校の臨時教員として2年間教鞭をとった牧野富太郎さん。当時から植物の採集、写生、観察などの研究を続けており、17歳になった頃には欧米の植物学にも触れるようになりました。

そして「本草綱目啓蒙」に出会って本草学、植物学に傾倒。なんでも、この時牧野富太郎さんは自らを「植物の精」だと感じていたのだとか。19歳で「第2回内国勧業博覧会見物」と書籍、顕微鏡購入を目的に一度目の上京、更に本格的な植物学を志して22歳の時に再度上京しました。

帝国大学の植物学教室で研究に没頭

上京後、帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)植物学教室の矢田部良吉教授を訪ねた牧野富太郎さんは、同教室で研究に没頭しました。25歳の時には教室の仲間と共に「植物学雑誌」を創刊。26歳の時にはかねてから構想していた「日本植物志図篇」の刊行を自費で始めました。こちらは現在の植物図鑑のはしりと言われていますよ。

牧野富太郎さんは描画力も天性のものがあり、これらの植物誌の作成にも大いに活かされています。一方で、研究者としての地位を確立すると共に研究費を退寮に使ったために、この頃の牧野富太郎さんの実家の経営は傾いてしまっていたようです。

27歳で新種の植物を発見

1989年、牧野富太郎さんが27歳の時に新種の植物を発見。日本ではじめて新種のヤマトグサに学名をつけました。1890年にはムジナモを日本で新発見、正式な学術論文を世界に報告したことから、世界的に名を知られるようになりましたよ。

同時期に結婚した牧野富太郎さんですが、一方で矢部田教授らから植物学教室の出入りを禁じられるといった出来事も。31歳の時に矢田部教授の後任に呼び戻される形で教室に戻りましたが、当時生家は没落、研究に必要な物は高価であっても全て購入していたことなどから多額の借金をつくり、家財道具一切を競売にかけられたこともあるほどの苦境にありました。

「大日本植物誌」などを刊行

1900年から、牧野富太郎さんは未完に終わった「日本植物志図篇」の代わりに、「大日本植物誌」の刊行を始めました。帝大から費用が捻出された同誌は4巻で中断となっています。1926年には、津村順天堂の協力を得ながら個人で「植物研究雑誌」を創刊するも、こちらも3号で休刊に。

各地で採集をしながら植物の研究を続け、標本や著作を残していった牧野富太郎さん。しかし、借りだした参照用に借りだした大学所蔵文献をなかなか返さないといったことや、学歴がなかったことも影響して研究室の人々とは軋轢があったようです。

没後に勲二等旭日重光章、文化勲章を追贈される

それでも、帝大から必要な人材とされていた牧野富太郎さん。50歳から77歳までにわたって東京帝国大学理科大学講師を勤めました。65歳で東京帝国大学から理学博士を受け、その後も朝日文化賞受賞や日本学士院会員となるなど、その功績が評価されましたよ。

1957年、96歳でこの世を去った牧野富太郎さん。没後、従三位に叙され、勲二等旭日重光章、文化勲章を追贈されています。1958年には高知県立牧野植物園が開園されていますよ。

2023年、朝ドラ主人公のモデルに

「牧野日本植物図鑑」を始め、数々の著書、図鑑を残した牧野富太郎さん。その人生は、数度にわたり小説や映画などの題材となっています。2023年には朝ドラの主人公のモデルに。牧野富太郎さんをモデルとした主人公「槙野万太郎」役を、神木隆之介さんが演じますよ。

最後に

今回は、朝ドラ主人公のモデルとなった牧野富太郎さんについての紹介でした。

数々の功績を残しながら、苦境も多い人生を送った牧野富太郎さん。朝ドラでその人生がどのように描かれるのか、今から楽しみですね。